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石郷岡 建氏 講演「ロシア特派員生活を終えて」
石郷岡建さんの略歴
1947年生まれ。早稲田大学文学部中退。モスクワ大学物理学部天文学科卒業後、毎日新聞入社。カイロ支局中東特派員、ハラレ支局アフリカ特派員、ウィーン支局東欧特派員、モスクワ支局ソ連特派員を経て、東京本社専門編集委員などを歴任。現日大研究所勤務。
著書は、「さまざまアフリカ」「ルポ・ロシア最前線」「ソ連崩壊1991」など多数。


講演要旨


<はじめに>

早稲田大学文学部中退し、モスクワ大学物理学部天文学科に入学した時は、一ドル360円の時代だった。「貧しい国からソ連に行った」という感想。

ソ連での学生生活と毎日新聞での特派員生活を通して、世界全体がめちゃくちゃに変化したことを目撃した。それぞれ1時間以上話せるくらいにいろいろなことがあった。
早稲田に残っていれば、大学紛争に巻き込まれていただろう。実際、友人の多くがドロップアウトした。

  • 1968年にチェコスロヴァキアで起こった改革運動「プラハの春」を、大学時代ソ連の中から見た。

<帰国後、毎日新聞入社>
  • 外信部に配属され、ポーランドの「連帯」を取材。ソ連をはじめとする社会主義国が怒涛のように変化する萌芽だった。
  • カイロ特派員時代、レバノン第一次侵攻を取材。ベイルートの大虐殺では、天井に血糊や脳髄が飛び散った光景も目撃した。言葉では表せないほど悲惨な光景だった。
  • アフリカのジンバブエでエチオピアの飢餓を取材。これに続く南アの人種暴動も取材。
    アフリカはあまり事件のない取り残された国。そのアフリカで、激動の部分とはまったく別世界があることも知った。アフリカの動物は、本当に美しい。皮膚病を患っている動物なんていない。なかでも、タンザニアのアンボスリ自然動物公園は素晴らしかった。泊まったロッジのベランダで、紅茶を飲みながら夜明けのアフリカを見た。キリマンジャロが真っ黒からピンク色に変化し、その前をキリンがゆっくり歩いてゆくなんて想像できますか?

    アフリカの飢餓で思ったのは、アフリカの人は死が訪れる事に従順であるということ。我々なら、抗議するでしょう。彼らは、淡々と死を受け止める。私たち日本人より、人間としては上ではないかと思える。

<特派員生活から帰国>
  • ソウルオリンピック
    北朝鮮抜きのオリンピック。韓国が、ソ連など社会主義国との国交を回復するきっかけとなった。
  • 北京でゴルバチョフと鄧小平の首脳会談。この取材をしている時ホテルの一室から、ムシロを持った人を大勢見かけた。今思えば、これが天安門事件の始まりだった。
  • ウィーンでポーランドの連帯が復活したため、毎日新聞ウィーン支局開設。
    支局長となり、1981年12月21日共同通信に着任の挨拶に行ったら、「ルーマニアのチャウセスクが倒れた」と聞かされた。東欧が、見るも無残に倒れた瞬間だった。
  • 1999年、第26回ソ連共産党大会。エリツィンが共産党を脱会。最後の共産党大会となった。翌年、ソ連崩壊。
    ロシア人は、欧米(アングロサクソン)のように論理的ではない。矛盾しているが、人間としては、とても良い。
  • ソ連崩壊。1991年8月の守旧派の党官僚によるクーデターは息詰まる三日間だった。ソ連では、何かが起こるとテレビで「白鳥の湖」のバレエが流れる。その日も朝から流れた。「何かが起こった」と思ったが、放送も通信も通常通りで、外との関係は切れていなかった。飛行場も地下鉄も通常通り動いていた。
    つまり、クーデターを起こした側が優柔不断だったのだ。優柔不断なのは、ゴルバチョフだったといえる。町の中心に戦車があってバリケードがあっても、そのまわりは何も変わらない「日々の生活」があった。
    それに比べて、天安門事件は凄かった。すべての信号が動かず、政府の人間が通りかかるとたちまちリンチが起きた。800万人から1000万人の人口がすべて渦中にあった。中国人は、めちゃくちゃアナーキー。

(プーチンに関して)
ロシアの人は、過去の経験から、社会のタガが外れるとひどいことになる事を知っている。これを防いでくれるのは、警察とKGB。プーチンがKGB出身であることは、重要だ。
ロシア全土は、時差が十時間。一斉蜂起は難しい国。しかも多種多様な民族がいる。
あの人とあの人は仲がいいなどということでは、上手くいかない。並みの人物では、大統領は出来ない。そして、プーチンが選ばれた。プーチンは、2年後に出て行く。
憲法で二期と定められているから。院政を引くことはない。そんなになまやさしいものではない。プーチン退任のあと、混乱がおきないようにロシアも考えているだろう。
ロシアは今、外貨準備高で、中国・日本についで3位。経済が好調ということではなく、ただ石油の価格が高騰しているからだが。
ロシアの一般の人々は、エリツィン時代の市場経済はひどかったと思っている。あれは、ただの「ショック療法」だ。この「ショック療法」を日本の経済評論家はこぞって批判した。小泉内閣もほとんど同じ「ショック療法」をとったのに、なぜ日本の経済評論家は小泉政権を批判しなかったのか、不思議だ。

(北方領土問題)
昔、小澤一郎が自民党幹事長時代にモスクワへ行った。読売新聞の一面に「小澤はものすごい金額の金を用意した。その金を渡せば返すだろう」という記事が出たが、私はありえないと思った。エリツィンに会うなりつかつか寄っていって、すぐに握手した。
エリツィンになめられて帰ってきた。

筑波大学の秋野豊教授がこう言っていた。
「中国とロシアがぶつかり合った時、ロシアが日本に助けを求めれば、北方領土は返してもらえる」

日本が強硬に出でも、返してはもらえない。第一、ロシア人はなぜ四島なのかわからない。共産党が言うように「千島全島を返せ」といって、結果、四島が戻ることの方が、現実味がある。「日本固有の領土」いうが、ロシア人にとって、国境は常に変わっている。力関係で、国境は変化すると思っている人たちに「固有の領土」の意味はわからない。


注:筆者桜井郁子の聞き書きです。
御興味を持った方は、石郷岡建さんの著書をお読み下さい。
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