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早稲田大学校友会・被災地激励訪問ツアー」参加報告
「稲門祭2011」がきっかけとなり、実現したツアー

寒さの厳しい1月末、早稲田大学東京都23区支部幹事会有志で東日本大震災被災地に住む校友たちを激励訪問するツアーに参加しました。参加者は29名+5歳の坊やで、総勢30名のツアー。年齢も職業もバラバラですが、「早稲田大学に集まり参じた被災地の校友たちを励ましたい」という気持ちは一つ。1月30日早朝、気仙沼と石巻に向かいました。
私は、勤務先の社会貢献活動一環で、2011年3月末以来何度も被災地を訪れていますが、今回のように被災地の校友たちにお目にかかって、じっくりお話を伺うことは初めてです。
この激励訪問ツアーの発端は、昨年10月の稲門祭。校友が会長を務める気仙沼の酒造会社「男山本店」は津波で甚大な被害を受けましたが、奇跡的に工場は被害を免れ「奇跡の酒」としてメディアにも取り上げられました。被災地の校友支援を目的に、稲門祭では男山酒造の純米酒に”がんばろう日本”のラベルを付けて販売。予定の300本を校友が支えあって完売しました。このご縁から、校友会23区支部幹事会で今回のツアー企画が提案され、実現したものです。
「男山」販売風景
「男山」販売風景
2011年10月6日「稲門祭」での「男山」販売風景
鎌田総長と男山酒造菅原社長(左)、石巻稲門会高橋さん(右)
ちょっと変わったツアー報告となりますが、2011年に私が撮影した気仙沼・石巻の写真も合わせて被災地激励訪問ツアーの様子を書きます。
気仙沼で今年も名酒が生まれている!船も戻っている!

最初に訪れた気仙沼港。昭和6年頃の建設で平成15年1月に国の有形文化財の指定を受けた「男山本店」の事務所は、津波被害で三階建ての一階・二階が潰れてしまいました。気仙沼の歴史ある建造物は、今では、気仙沼の被災モニュメント的な存在になっています。
男山本店
奇跡的に無事だった酒造工場もご案内いただきました。新酒の仕込みを拝見したのち、気仙沼稲門会会長でもある菅原雅会長と息子さんの昭彦さんを囲んで記念撮影。
記念撮影
気仙沼港を歩いてみると、漁船が停泊しています!漁港としての機能が少しずつ回復しているのでしょう。旅行者の私ですが、気仙沼名物「おさかな市場」に並ぶ新鮮な魚に気仙沼の方々の心意気を感じずにはいられません。
おさかな市場
おさかな市場
2011年3月30日の気仙沼港。「いったい何が起こったのか?」と呆然とする景色でした。
気仙沼港
気仙沼港
高台にあったため復旧も早かった『気仙沼プラザホテル』で、気仙沼稲門会の皆さんと懇親会。気仙沼の夜に、『都の西北』とエールが響き渡りました。
懇親会
懇親会
鎌田総長からの「激励色紙」を気仙沼稲門会菅原会長(左)へ贈呈。
翌朝、気仙沼から石巻に向かう途中で見た、「龍の一本松」も忘れられません。
龍の一本松
あの日がなければ、夏は海水浴場として賑わう岩井崎の突端で、地震にも津波にも負けなかったたった一本の松が、寒風吹きすさぶ中、頑張っています。今年の干支・辰(龍)に見えることから、復興のシンボルとしてメディアに数多く取り上げられました。
石巻の校友たちが語る「それぞれの被災」に聴き入る
それぞれの被災
それぞれの被災
石巻では、石巻稲門会の松本賢会長が私たちのバスに同乗して、被害の大きかった海沿いを中心に案内してくれました。市内で工場を経営する松本さんは、「家族や従業員たちと石油ストーブで煮炊きして何とかしのいだ。震災二週間後にお風呂に入ったときは、本当に溶けそうだった」と事もなげに笑顔でお話になっていましたが、「9月に早稲田大学のグリークラブが来てくれた。音楽を聴くことで、3月11日以来の原始人が、やっと文明人になった気がした」と体験した人でなければわからない人間の感情を語ってくれました。

2012年1月31日の「がんばろう!石巻」の看板です。ここは、震災直後に自然発生的にできた祈りの場。今も花やお線香、たばこ、ビール、お菓子など亡くなった方の年齢や性別がわかるお供えが並んでいます。
がんばろう石巻
がんばろう石巻
2011年6月、私が撮影した同じ看板。季節の違い以外、ほとんど変化していません。
がんばろう石巻
石巻稲門会の皆さんとは、市内のホテルでお目にかかりました。
石巻稲門会の皆さんと
このツアーに際して、石巻稲門会の皆さんからのご希望は「元気が出る講談を聞きたい。創作講談『大隈重信』の神田陽司さんに来てはもらえないだろうか?」というものでした。第一文学部卒の校友でもある神田さん、神戸から日帰りで駆けつけてくれました。
神田陽司さん
神田さんの講談に限らず、「早稲田の校友で良かった」と実感。参加者全員がそう思ったでしょう。石巻稲門会の方々も気仙沼稲門会の方々も、開口一番「『早稲田大学平山郁夫記念ボランティアセンター』が組織立って動き、いち早く現役学生が被災地に来て復旧の手伝いをしてくれて嬉しかった」とも語っていました。まさに「集まり参じで人は変われど・・・」を実践する母校の団結力です。
巨大煙突から希望の煙が!


石巻では、私が個人的にうれしかった発見もあります。
2011年6月、石巻港に面した日本製紙の工場は、瓦礫に囲まれ煙を吐けない煙突が息も絶え絶えにそびえて立っていました。
日本製紙の工場
今回のツアーで見た日本製紙の石巻工場。まだ一部ではありますが、真っ白な煙を吐く煙突を見ました!
日本製紙の工場
石巻稲門会会員であり、女川で電気工事の会社を営む及川さんは、津波で家も会社も流されました。幸い家族も社員も無事でしたが、震災からしばらくたったある日、新築の家を津波で破壊された社員が、その家で自殺。それでも「何としても震災から半年後の9月11日には、工場の一部を動かす」という日本製紙石巻工場の<決心>ともいえる目標に向かって、電気工事を請け負った及川さんの会社の社員たちは心を一つに頑張ったのだそうです。

石巻の平野からも海からも見える巨大な煙突の煙。この煙もまた、被災地復興の貴重な一歩だと信じたいと思います。

文:桜井郁子(1977年第一文学部卒)
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