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知らなかった!早稲田大学校歌の由来
校歌の由来
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会場となった大隈講堂は、いつ見ても威風堂々たる姿。
早稲田大学では、2005年度から「オープン教育センター授業 早稲田を知る」が開講されているのを御存知ですか?堂々と「早稲田を知る」と銘打っているところに、私学の雄としての自信が溢れていてOBとしても嬉しい気持ちです。
さて、その一環として、学生はもちろん、校友や一般人も受講できる校友会寄附講座の公開授業「早稲田大学校歌・応援歌の由来」が、5月26日に大隈講堂で開催されました。優勝がかかった早慶戦の2日前というグッドタイミング!

案内チラシには、こう書かれています。

「そこには、早稲田大学建学の精神のルーツがあった。これまで多くを語られなかった誕生にまつわる秘めたる物語が、今明らかになる」

精神のルーツって?秘めたる物語とは?卒業して何十年も経つと、かえってこんなことに興味がわくものです。
ということで公開授業に参加した私が、この場を借りて皆様にレポートをさせていただきます。

講座の司会は学生部長の村井先生。一階席の学生さんたちから拍手喝采が起こり、ノリノリで講義開始です。しかし、片山先生からショッキングな一言が。
「慶應の先生から指摘されるのですが、昨今は早慶戦のワセダ側応援席は、ガラガラ。昔から休講にしないのは同じなのに、なぜなのだ!」いやー、そうだったのか…。勉強第一の学生が増えて、早慶戦なんか興味がないのか…。イカンではないか、早稲田大学。そんな経緯もあって、この講座が始まったのだと納得。
校歌の由来
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片山講師による、正しい腕の振り方指導。日焼けした顔と引きしまった体が、現役時代をしのばせます。
講師は、校友で応援部稲門会顧問の片山尚さん。在学中は応援部に所属、代表委員主務を務め、1994年から1999年応援部監督でもあった筋金入りの応援部OB。片山さんは、とにかく声がいいのです。いわゆる美声ではありませんが、大隈講堂の隅々まで響く鍛え上げた声。学生たちも二階席の校友たちも、思わず話に引き込まれました。

早稲田大学校歌の誕生から、歌唱指導まで

I.早稲田大学校歌はなぜ泣けるのか?

早稲田大学校歌「都の西北」は、校歌にして応援歌。これは他に類を見ない珍しい校歌。
ちなみに慶應義塾大学の塾歌には、飲んだら歌わないという決まりがある。したがって塾歌を歌うのは、早慶戦のときだけ。塾歌をまったく知らずに卒業する学生も多いのだとか。 卒業後何十年経っても、嬉しいにつけ悲しいにつけ歌う。酔えばなお歌う。歌えば泣ける。それが早稲田大学校歌なのだ。
校歌の由来
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吹奏楽部の生演奏付き講座。6大学の校歌(応援歌)を実演してくれました。
I I.早稲田大学校歌は「校歌」の嚆矢である

創立25周年にあたる明治40年に完成した早稲田大学校歌は、日本の大学で一番初めに出来た校歌。ちなみに慶応義塾大学の旧塾歌は、明治36年作られたが、早稲田大学校歌を聞いた後に作り変えられ、現在の塾歌は昭和16年のもの。
明治大学校歌:大正9年、立教大学:大正14年、法政大学:昭和5年と、みな早稲田大学校歌が出来た後、作られたもの。一方、東京大学には校歌は存在しない。旧制高校の寮歌は有名だが、寮歌の音階は日本民謡と同じ。「都の西北」は、初の世界水準の校歌なのだ。
I I I.誰が校歌を欲しいといったのか
I V.校歌づくりの輪郭

当時文学科講師であった、日本近代劇の先駆者・島村抱月は「学生の心を一つにするものが欲しい」と校歌を作る事を発案。この案は、師の坪内逍遥に預けられ、逍遥は6年間をかけてイートン校など海外の有名大学の校歌を集め研究した。
まず、学生から歌詞を募集したが、理想的な概念を打ち出したものが見当たらず、採用無し。その後、審査にあった坪内逍遥と島村抱月は、卒業生の相馬御風に作詞を依頼。10日余の苦闘の末に、相馬御風は名作「都の西北」を書き上げた。作曲したのは、当時講師であった東儀鉄笛(とうぎ てってき)。
校歌の由来
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肩を組んで♪都の西北。歌い慣れていない感じの学生さんもいますが、ご愛嬌です。
V.校歌を歌う

早慶戦の優勝後、ちょうちん行列に参加した事のある人は知っているだろうが、早稲田大学校歌は行進曲なのだ。
♪都の西北ぅ〜早稲田の杜にぃ〜 の歌い方は駄目!
テンポよく切って歌うのが正しい歌い方。自負の精神を持って、途中柔らかく、最後は爆発的に歌おう!
校歌の由来
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野球部の皆さんが勢ぞろい!宮田主務の御挨拶に会場は、シーンと静まり返ります。
早稲田大学野球部と応援部が特別出演

早稲田大学校歌について、片山さんの楽しくてウンチクに溢れた講義を聞いた後は、早稲田大学野球部の皆さんが登場。場内大拍手!!
2日後に迫った“優勝が掛かった早慶戦”への抱負を、主務の宮田君が語ってくれました。学生服姿の選手達、ユニフォーム姿より幼く見えて可愛いかったですよ。
この講義のフィナーレは、優勝を祈念する応援部(チアガールも!)の「フレー、フレー」と校歌斉唱。野球部員を前に、大隈講堂に集まった全員で「都の西北」を声高らかに歌ったことは、言うまでもありません。もちろん、吹奏楽部の生演奏付きで。一階席の学生さんも、二階席の元学生さんも、早稲田大学校歌を堪能したのでした。

校歌の由来
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チアガールも登場して、場内は最高潮に。
校歌の由来
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白井総長も一緒に♪ワセダ、ワセダ〜
この一体感は、「都の西北」を歌わなければ生まれません。
その数日後、27年ぶりの“優勝が掛かった早慶戦”では、早稲田が3季ぶり37度目の優勝を完全Vで飾ったことは、皆さんも良くご存知の通りです。

当日の講義の締めは、白井克彦総長の御挨拶。学者タイプで自然体の白井総長には好感を持てます。母校・早稲田大学が改革されている、大学と学生が一緒に成長していると、実感させられました。
この講義をきっかけに、再び早慶戦のワセダ側応援席が毎回超満員になり、勉強への熱意と母校への誇りを合わせ持つ学生さんたちが、もっともっと増えますように。
懐かしさと新鮮さを味わえる「公開授業」、次回は皆様もぜひ御参加ください。
「写真提供:早稲田大学校友会」
(文:桜井郁子 S.52 第一文学部卒)
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